背景
近年、物質の粘弾性特性が生物学的プロセスにおいて中心的な役割を果たすことが明らかになり、非接触型のブリルアン顕微鏡法が注目を集めている。従来のエラストグラフィー技術は、サンプルに物理的な接触が必要であり、in vivoや三次元環境には適していないため、純光学的かつラベルフリーでサブセルラーの空間分解能を持つブリルアン顕微鏡法が重要視されている。ブリルアン分光法では、光が物質の自発音響振動とエネルギーを交換することで、その周波数シフトとライン幅を測定し、サンプルの粘弾性特性を得ることができる。この技術は非破壊的であり、ラベルフリーのため、生きた細胞内のサブセルラー構造やその変化を観察するのに適している。また、最近では眼科学や心血管疾患の予防、癌の診断など、臨床分野にも応用され始めている。特に、ビジュアルイメージフェーズアレイ(VIPA)を用いたブリルアン顕微鏡法は、スキャンフリーで高速なデータ取得を可能にし、生物医学と材料科学の分野での応用が期待されている。VIPAは並列検出を実現し、スキャン時間を大幅に短縮することで、ブリルアン分光法を点サンプリング技術から新たな全光学的機械イメージング方法へと進化させた。
※エラストグラフィー : 組織の弾性特性(硬さや柔らかさ)を画像化する医用画像技術の一つ。主に超音波やMRI(磁気共鳴画像法)を用いて行われ、組織に微小な圧力をかけ、その応答を計測することで、異なる硬さを持つ部位を識別する。これにより、腫瘍や線維化などの病変部位を検出することが可能となる。エラストグラフィーは、従来の画像診断法では捉えにくい微細な組織の変化を高精度に評価できるため、診断の精度向上に寄与する技術である。
従来の問題点
しかし、従来のブリルアン顕微鏡法は、散乱の強い生物学的サンプルにおいて、弱いブリルアンピークを強い弾性背景光から検出することが難しいという課題に直面している。特に、レイリー散乱やフレネル反射による弾性背景光の強さは、非透明なサンプルではブリルアン散乱光の百万倍以上となることが多く、検出には高いスペクトルコントラストを持つ分光器や超狭帯域フィルターが必要とされている。
多段マルチパスファブリペロー干渉計やVIPAエタロンの使用が一般的だが、これらはシステムの堅牢性、安定性、およびスループットに影響を及ぼす複数の光学要素と経路を必要とする。特に、VIPAエタロンは、~30 dBの低いスペクトルコントラストにより、透明なサンプルの検出に限られる。また、ルビジウムガスセルのような高感度な背景除去手法も存在するが、これらは特定の波長でしか機能せず、ブリルアン顕微鏡法で一般的に使用される660 nmでは動作しない。
解決方法と結果
そこで、本研究では、共通経路の複屈折誘起位相遅延(BIPD)フィルターを導入し、ブリルアン信号とレイリー信号の偏光状態を分離することで、背景光を抑制する手法を提案した。これにより、シングルパスで65 dBの消光比を実現し、極めて散乱の多い環境や高反射性の界面においてもブリルアンスペクトルを取得することができた。実験では、BIPDフィルターを用いて極めて散乱の多い環境でのブリルアンイメージングを行い、ラマンイメージングと組み合わせることで、マウスモデルの骨組織を分析したところ、骨の生物力学的特性が健康なコントロールと比較して大きく異なることが確認された。この結果は、従来の多段ファブリペロー干渉計を使用した手法に比べ、データ取得時間を大幅に短縮しつつ、高い精度で生体サンプルの力学特性を評価する新たな可能性を示している。

使用したCoboltのレーザー
使用したレーザーは、660 nmの単一縦モードレーザーCobolt Flamencoであり、高い波長安定性と低ノイズ特性を有する。これにより、長時間のデータ取得中でも高精度なスペクトル測定が可能である。
